10月7日(日)音楽集団・蛇喜猫賀(中川晶一朗主宰)がパワーアップを果たし、1年ぶりに高麗神社へ帰って来た。
初っぱなから大地と魂とが共鳴音と化した「出合いの時に」で観衆の心を一気に彼方へと押し上げ、そのまま歓喜の呼応「イナ.ミンジャ.ノグゥイ.ソング(PNG.クォマ)」までの第一部を神事としてていねいに歌い上げた。
折しも過激な世界情勢に連動するかようにその歌声は鎮守の森を突き抜け、遠く、どこまでも魂の叫びとなり夜空にこだましていった。
蛇喜猫賀の音楽性はまさに神楽殿のような場所にふさわしく、中でも「鳴っている」は祖霊への思い、限りなく失われゆく命への鎮魂歌として時代に即応したものであり、肉体全体を表現手段として、地の底からからひねり出されるような朗読詩はリーダー・中川晶一朗の本領が遺憾なく発揮され、前出の「出合いの時に」と共に蛇喜猫賀の新境地を感じることができた。
引き続いて第二部はお馴染みの曲で構成。観衆の手拍子や歓声とともに、中川流に言えば音楽の嬉しさが陽気にはつらつと、ありのままの姿で披露された。人間離れした宇宙的声音の高田淳子、天から舞降りたような清楚な無邪気さを持つ島田康子、そして今回から加わった本格派歌唱力を秘めた大島まどかの3人のボーカルもそれぞれの思いを背負いながら、持ち味を出しきり、三者三様の表現形態は今後蛇喜猫賀の中心をなしてゆくであろうと思わせるに充分だった。
また、チャンゴ奏者としてスポット参加した中野裕子は課せられた難しいポジションにもかかわらず、自身の持つ天性の魅力の片鱗を伺わせ、将来への可能性を感じさせるとともに、蛇喜猫賀との関わりがゆく末の力となってゆくに違いない。
更に、初めてボーカルマイクを向けられたキーボードの丸谷哲司の奏でる電子サウンドが、他の奏者のアコースティックで原初な音と響き合い、蛇喜猫賀に無くてはならない音源として、サウンド全体の深みを増していることを記しておこう。 |