カワラ
カラカラカラッと空が笑った。
電離層の分厚い大気をおし開き、祝祭の青を流し込む。
ヒトの感情を透明にする青の光柱を無数に立てて、空が笑った。
空は大地と結びつこうと、ヒトを大地におろし、立たせたのか。
ヒトは二つをつなぐパイプの存在として大地に立った。
そして踊るとき、空と大地は背骨を通して交わりひとつになる。
官能的とは、このことなのだ。
鉱物は、自らの内部に空を封印して、何億年という時間の夢を見続けている。
その動かないさまは、行進曲をともなったダンスのように見えてくる。
植物の螺旋状の成長のダンス、魚の群れなす歓喜も、鳥のさえずりもダンスしている。
見えるものも、見えないものも、一切は振動し、波うち、ダンスしている。
すべてのことは、たったひとつの踊りなのかもしれない。
たどり着きたい生命のダンスを夢想する。
ある朝、空が笑ってみぞれが雪に変わった。
大地を祭礼の白に染めて祝福していた。
いつもいつも空には祝福されてばかりの私達。
たまにはお返ししなくちゃいけません。
それが宇宙的礼節というものだ。
空を祝福し、大地に感謝のステップを踏む。
肉体の内空の青空に花火があがるようにして、ダンスは爆発する。
元々ダンスは生命力の爆発だ。静かな、うれしい、楽しい爆発。
わき立つ水、光柱立つ青、そこに透かし見える空の笑い顔。
踊る水は未来に向けてそれを繰り返す。
水とは、生命の別の呼び名。
私達は水の踊り子。
そう、空に笑いかける水の踊り子だ。