自宅の北側、林を抜けた先に、小さな湿地がある。もう、20年以上も前に耕作を止してしまった田んぼがそのまま湿地になっている。
日当たりの良い田だととっくに乾燥してススキやセイタカアワダチソウの原になり、ヤナギなど湿気を好む木も生長しているのだろうが、ここは、小高い山間のため、さして、日も当たらず、水はけも悪いため、もともと米作りには不適な場所だったろうに。それでも、僅かばかりの米を得るため、先人たちは苦労して少しずつ水田を切り開いていった。
子供心に覚えているが、その田んぼでまだ稲作が行われて頃の姿は、山と、沢と、田が見事に調和したものだった。自宅脇から沢に沿って上流に行く。すぐに沢は堀のように小さく、狭くなるが、その辺りから二手に分かれ、谷津を形成してゆく・・・いや、順番は逆か。山があり、雨が降り、そこから細い水の流れが始まり・・・言わずもがな、谷津田のあるところはいずこも耕作の条件としては恵まれてはいないが、反面、田を取り巻く周辺の環境は素晴らしい。
山は概ねコナラ、クヌギなど、落葉広葉樹で覆われている。それらの木々は炭焼きにも使われたかも知れないが、枯れ枝など多くは釜戸、囲炉裏、風呂、炬燵等の重要な焚き付け材として不可欠だった。落葉は全てかき集められ、腐葉土として田畑の肥やしに使われる。したがって嘗ての里山は、常に明るく、歩きやすく、きれいなものだった。そこに春ともなるとワラビ、ゼンマイなど、保存食としても重要な食料源がたくさんあった。
また、沢はというと、シジミ、カラス貝、タニシ、カワニナ、ドジョウなど、夥しい生き物に覆われ、初夏ともなるとホタルが無数に光跡を描いていた。谷津田に沢から水が引き込まれる頃を同じくして、待ってましたかのように、一斉にカエルの登場。夜ともなると、その輪唱が家の中までこだまする。闇の中、カエルたちの鳴き方で今、外がどの様な状況になっているか、手に取るように想像ができた。あっ、今、一匹、蛇に殺られた・・・などと、思い描くだけで、ゾクゾクしたものだ。
語り出せばキリが無いのだが、概ね、谷津田のあるような環境は木と水と生き物の関係がみごとにと融合した状態だと思う。そして、その生き物の中には我々人間も含まれていた。
小さな湿地にはアシ、ガマが生えている。その根元のあちこちに羽化したばかりのサナエトンボがじっと日の当たるのを待っていた。樹間から差し込む光が体を覆うとともに、エネルギーが充満し、やがて若葉の中を飛び交う。陽光に輝く透き通った無垢な羽根。その羽根がボロボロになる頃、谷津はもっと多くの生き物の楽園と化す。