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NO.0003/2001.05.25

土から放たれた場所へ -呼吸・時間・風-
加茂孝子+中川晶一朗
■中川晶一朗流アートへのテーゼ■ 

間野黒指にはバナナがよく似合う(右上)。全体的に南方の臭いがする。周囲を小高い山に囲まれる(左上)。実にひなたぼっこが気持ちいい。団らんする楽士の面々(左下)。彼らの頭上にはとてもゆったりした時間が流れている。何かを体感し、会得?できたらしく、表情も晴れやかだ。しかしこの時間、もう一つのプロジェクトは継続中なのだ。つまり本番中。その渦中を意識することが大切と、中川氏は説く。
 今回のプロジェクトはO-NEのオーナーである捧公志朗氏がディレクションをし、中川晶一朗氏の統括で5月12日より始まった。(週末のみ)
 すなわち、このような自然環境の中で、笛、太鼓、あるいは声を使った人工的な「音」としての音楽を奏でることほど、奏者にとってシビアな状況はなく、ともすれば独りよがりに空回りしてしまい、周囲にノイズとしか伝わらない。それはまた、聞く側にも同様なことが求められるわけで、耳を傾ける際のこころの有り様が問われてくる。
 中川氏曰く「意識的に捉えた先の無意識な状態」。すなわち、仏法でいうところの「空」「無我」の心境に近いのか。音を意識して発することがもっとも重要であるが、まだ意識している間は、「音楽」としては相手に届かない。それを超えた先にある、自らが自然体としての、無意識の境地。その状態になって初めて「音楽」として成立するというわけだ。
 それにしても、何と気持ちのいい環境だろうか。周囲の山々を見渡し、鳥のささやき、風のざわめき、臭いを身体に受けるだけで、最早素敵な場所だ。そこに敢えて音を発することの覚悟・・・根元的な音のあり方を見つめるのに十分すぎるほどの場所で、まさに音は時間軸の流れの中で、呼吸に乗り、風となる・・・
O-NEの二階。展示スペースのからわらに無頓着におかれたイス。土壁と板の間。けして一朝一夕では創造することのできない時間の流れによって生み出され、醸し出される味わい。そこに差し込む西日が更に美を演出する。
実は既にO-NEそのものが美しき「美術品」ともいえるたたずまいなのだ。窓から望む環境と合わせ、全てが美の世界だ。ここに自然と共生できていた頃の人間の姿を垣間見ることができる。そこへ敢えて己の創作物を展示するということ。その行為そのものが、外の楽士同様、作家に問われる。その意味で、加茂氏の決断と、自信のほどがうかがえる。楮の魂はこの空間でしっかり共鳴し、一体化していた。
 今回の一連の行いの感想をを土地に暮らす老人たちに聞いてみた。その結果、彼らの行いをおおむね受け入れている様子だった。このような集落の中で、「非日常的行為」を行う場合、何と言っても土地に暮らす人々の理解が大切となる。他人の心の中に土足で踏み込むような行為は自己満足でしかあり得ない。土地との関わり方が表現者の生き様にも反映する。
 土地に礼を尽くし、土地の神に礼を尽くし、更に土地の人々にも礼を尽くすこと。すでにここから表現行為は始まっている。その点、中川氏一行は礼儀を重んじているのだろう。そして何よりも、開設5年になるという、O-NEのこの土地との関わり方、また、オーナー、捧氏の人望と、生き様が、土地に受け入れられている結果であると感じた。
 願わくば、非日常としての営みでは無く、日常行為の延長線上にある行為として受け入れて貰えたならば、彼らの表現も本物となるに違いない。(TA)

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exhibition

「土から放たれた場所へ -呼吸・時間・風-」

art/加茂孝子 KAMO Takako
sound/中川晶一朗 NAKAGAWA Shoichiro
space/O-NE・manokurozasu
direct/捧公志朗 SASAGE Koshiro
〒357-0056 飯能市上直竹上分209 TAL//FAX 0429-77-3298


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