ここ数日来の高温多湿に促され、昨秋、友人たちの協力で植えられた庭の楠が、漸く芽を吹いた。本来の芽吹き時期から遅れること一月半あまり、待ちに待った瞬間が訪れた。
4月、かたくなに芽を閉じ、一向に開く気配の無い楠に、正直ハラハラした日々が続いていた。幾度も励ましの声を掛け、さすり、水を撒き、それこそ懇願する思いで様子を伺っていたのが、待てど暮らせど開くヨッパも無い。
生憎この春は雨が少なかった。そのせいもあったのだろう。それにしても遅すぎる。しかし、芽を調べてみると、小さいが微かに息づいている。一縷の望みを託しながら迎えた5月も半ばになると、昨年の葉も踏ん張りが効かなくなったのか、一枚、また一枚と落ち始める。これはよもやと危ぶまれた後での芽吹きに感慨もひとしお。
楠は照葉樹だ。常緑広葉樹とも云い、一年中青葉をたたえている。本来、九州、四国、紀伊辺りで自生している木で、関東、殊に埼玉以北で自生の楠は無いと思われる。したがって寒さにはあまり強くは無く、幼木を庭木として育てることは難しい。何よりも霜が一番の大敵となる。
そのため、昨秋植えた木は背丈が5mほどの若木を選んでもらった。樹齢にして10歳あまり。この程度まで成長していれば、まぁ大丈夫であろうということだった。それほどデリケートな木だが、ひとたび活着してしまえば、余程のことがない限り枯れることはない。日本国内にある巨樹の上位は大半が楠であることからも明らか。鹿児島県・蒲生の楠のように目通りが20mを超えるものもある。樹齢1000年ではまだまだ鼻たれ小僧に毛が生えたようなものか。
越生に上谷の楠という県下きっての巨樹がある。民家の裏山に育つ、屋敷神としてその家を、また、その集落を見守っているともみえる見事な巨樹だが、樹齢にして800歳あまり。木肌には若さが漲っている。いったいどこまで育つのか判らない。はたして寿命というものがあるのだろうか。楠の木を見ているとそう思わされてしまう。
縁あって我が家に植えられた楠。人の命など知れたものだけれど、楠はこれから幾百年、幾千年という歳月をここで過ごすことだろう。そう願ってやまない。
万感の思いで迎えた若葉の芽吹き。