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作者について

■昭和32年(1957年)、武蔵の国高麗郷に生まれました(育ちも)。高麗神社獅子舞の一員として小学5年〜6年にささらっ子、中学1年〜2年は祭礼の係として白丁(傘持ち)、そして遅ればせながら、中学3年で獅子として、宮参り(小獅子)を初めて舞いました。

 以来、本番で休んだ年もありますが、今日まで獅子舞係として雌獅子隠し、竿掛かり、願獅子、道引きを経て、現在は主に歌係として獅子と笛の間に立ち、調整役を務めています。

■戦後まもなく、作家の坂口安吾が取材で高麗郷を訪ねたおり、偶然にも高麗神社で獅子舞に遭遇しました。それは、祭礼前日のぶっ揃いの場面です。夕暮れ時、おそらく「竿がかり」の演目でしょう。

 せつなく、寂しい曲に安吾はいたく心を動かされ、そのときの印象を「高麗神社の祭りの笛」(安吾新日本地理 ー武蔵野の巻ー ちくま文庫)と題して丁寧に紹介しています。

 その安吾が聞いた笛を吹いていたのが、実はわたしのおじいちゃんなのです。(言い切っていますが、本当は確かではありません。明治28年生まれのおじいちゃんはとうの昔に他界してしまいましたし、おばあちゃんも、そして父もすでに現世にはおりませんから、確かめる術がないのです)

■おじいちゃんは幼少より獅子舞をはじめたそうです。

 昔は一家の長男しか獅子を継ぐことはできませんでした。(勿論、わたしも長男です)そして親獅子を引退した後、笛に転向、親笛を務めたとのことです。しかし、それが、いつ頃までなのか、今となっては長老たちに聞いてもさだかではありません。

 ですが、きっと、安吾の聞いた笛の音はおじいちゃんなんです。そう思うことで、安吾の文章を通して、当時の祭りの様子や、高麗郷の情景がより一層、リアルなものとして感じることができるのです。さらには、未来へ伝承する力ともなるのです。
 間違えないでください。坂口安吾云々ではないのです。そのように人の心を揺さ振る笛の音が、獅子舞が、そして環境が、かつて高麗郷にあったのだということなのです。

 とにかく、昭和20年代の高麗郷は、ほんと〜〜に綺麗で、素敵な場所だったんだろうなぁ。。。願わくば、そのころの獅子舞をこの目で見てみたいなぁ。。。

 今でもおじいちゃんが使っていた笛は、大切に保管しています。

作者の詳細 あんだかや〜〜

作者近景 2003.10.19

撮影 M.SUZUKI (C)




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