■2003年11月3日(祝)
鶴ヶ島市、高倉の獅子舞(高倉日枝神社)を拝見しました。ここは獅子舞歌がしっかり残されており、参考になるのではないか、という助言を事前に受けていたので、とても楽しみにして行ってきました。
かつて鶴ヶ島には10を数える獅子舞が各集落で奉納されていたそうです。しかし、その多くは太平洋戦争後の混乱期に次々と姿を消してしまい(こういう場所がほんとうにあちこちたくさんあるのです。残念でなりません)現在鶴ヶ島市内で伝えられているのは、この高倉の獅子舞だけとなってしまいました。非常に残念なことではありますが、その分、鶴ヶ島市教育委員会を窓口に行政サイドからのバックアップも整い、市の重要な民族芸能として大切に見守られている様子が端からも伺うことができました。
この獅子舞は以前は11月8・9・10日の3日間に渡って行われていたそうです。8日の揃い、9日(9という数字は祭礼にはとても重要なのです)が高倉日枝神社祭典、そして10日は村を練り歩きながらそれぞれ個別に訪問舞いを舞っていたそうです。その数はなんと70〜80件(長老の談話)にも及び、丸一日かけて歩き通し、疲れと酔いでへとへとになりながら、終いは「どじょう猫」(道中笛でしょうか。高麗神社には同様にジョウジョウネコという曲があります)の曲に合わせて幸福寺(聖天寺?)まで、ようようのことでたどり着いたとのことです。
そのエネルギーは大変なものだったであろうことは想像できます。高麗神社でもかつて訪問獅子と称して、それぞれの地区の主立った家の庭や境内、広場などで踊っていましたが、それはもう、大騒ぎな一日でした。行くところ、行くところでお酒も入りますしね。(そのころ少年だったのが悔やまれます)
さて、祭礼当日。宮参り、雌獅子がくし、竿がかり、そして再び雌獅子がくしの四庭が奉納されました。宮参りと初めの雌獅子がくしは途中休みながら同じ舞い手(中学生)が演じていました。なんとも緩やかな旋律で、太鼓の響きも柔らかく、ささらの摺り音とともにたいへん聞き心地のいいものでした。
その気分は、次の竿がかりでさらに広がり、雌獅子が竿(この場合は川と見立てている)を越えた後の曲と獅子の動きにみごとに表現されていました。けして激しくはないけれど、緩やかながらひとつひとつの動作が大きく、大小のうねり・波を彷彿させました。川(竿)・・・それは端的には男と女の深い縁をモチーフとしていますが、印象としては人生の川・・・人が生きて行く長くせつない道のりを表しているように感じました。まさにそれは「願い」と「感謝」に裏打ちされた「祈り」そのものでした。
「耳が感じた竿がかりの曲イメージ・・・ヒィ〜とこらしょ〜しょ〜 でぇ ヒィ〜とこらせぇ〜〜 よいとこらしょっしょ〜〜の うんこらぁせぇ〜 トヒ よいとこらしょっしょ〜〜の うんこらぁせぇ〜 ヒ〜 やれやんせぇ どれどんなぁ こなもんかぁ〜よ〜 ヒ〜」
そして途中から雨となり、終いの雌獅子がくしは集会場の中で舞われました。初めの少年たちのものとは違い、こちらはベテランの青年たちによる舞いで、味わい深いものに仕上がっていました。ことに雌獅子の静かな動きの中に見られる巧みな表現は、とても印象的でした。いずこの獅子もキーはやはり雌獅子が握っていると再認識したしだいです。
肝心の獅子舞歌ですが、日枝神社御歌、子神稲荷神社御歌、幸福寺御歌、上組名主歌、下組名主歌の五曲が記録として残されていますが、このうち名主歌は訪問の際歌われたもので、名主制度の廃止とともに、また寺も無くなったりということで、現在歌われているのは「日枝神社御歌」のみとのことです。
この宮は 飛騨のたくみの 建てた宮 楔ひとつで 四方固める
この御歌を曲間の池端という場面で歌っていました。法螺貝の役方も含め、歌うたいは6人程度。長老格が多かったようです。始め、笛が途切れ、歌だけが流れ、それに合わせて獅子が静かに舞います。いわゆる儀礼的な舞いで、高麗神社でいう宮参りの中の「おじぎ」の場面と同意だと思われます。歌の後半から笛も重なってゆき、獅子の動きもそれに合わせて大きくなってゆきました。その全体のハーモニーが美しく、高倉の獅子舞というものを彩っていました。
こちらの歌も近年は西洋式の譜面に置き換えられていましたが、かつては口と耳だけによる伝承が唯一だったそうです。この歌を高麗神社にそのまま活かすことはできないまでも、おおいに参考にはなりました。皆様、どうもお疲れ様でした。来年以降、機会がありましたら、11月2日の稲荷神社、幸福寺跡までの練り歩きに同行してみたいと思います。
高倉獅子舞
11月2日 午後1時・高倉日枝神社〜稲荷神社〜幸福寺
11月3日(文化の日) 午後1時・高倉日枝神社祭典
詳細は鶴ヶ島市教育委員会まで 電話 0492-71-1111
録音させていただいた高倉獅子舞の音を聞きながら一気にキーを打ちました。しかし、幾度繰り返して聞いてもまったく飽きないから不思議です。人の呼吸感とうまく共鳴しているからでしょうか。素晴らしいです。
※笛のメロディーですが、高麗神社と似たような部分、また、そのまま私にも歌えてしまう部分など、幾つか共通点を聞くことができました。宮参り、岡崎、竿がかりなど・・・ただし、獅子の振り付けは大きく違っていました。
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